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7月 17, 2021 ブログ

ゆたぼんくん


最近、少年革命家を名乗るユーチューバーの「ゆたぼん」くんが中学校に行かないと明言したことで周囲を巻き込んで議論となりました。

高校生や大学生での不登校もありますが、何故かここら辺は議論されませんね(笑)やはり論点は義務教育に関してってことなんでしょうね。

先生は教員免許を取得した言わば、教育に関するプロだと思います。何となく教えている素人ではないってことですね。そのプロから正しい教育を受けることに意味があるって考え方があります。

また集団生活を学ぶために学校に通うという側面でも議論されます。友達を作ったり部活の上下関係などを学ぶ上で役に立つという考え方です。

なるほど、そうですね。理屈ではね(笑)

私みたいに山賊側の人種からすれば、学歴なんて何の役にも立ちません。一応、私も大卒で二人の息子たちも大卒ではありますけどね(笑)

私は学校教育そのものに反対はしません。むしろ、学校の存在そのものには肯定派です。しかし、今の学校教育に対して、ゆたぼんくんを否定することはできないと考えています。

なぜなら、見直さないといけない部分がたくさんあるからです。

そもそも、何のために教育を行っているのか?が議論されていません。生きていくために必要なことを学ぶ。そんな当たり前の原点がどこかに行ってしまっているような気がしてなりません。

一流大学出身者しか採用しない一流企業に入りたいのであれば学歴は必要でしょう。しかし、実際にそれらが人口の何%になるのでしょうか?

三流大学を出て、中小企業に就職し、結婚をして家庭を築く。年収400万円以下で暮らしている一般庶民が圧倒的に多いんじゃないでしょうかね?

民主主義国家は数による優位性によって物事が決まります。となれば、この人達に向けた社会づくりを行っていくのが筋と言えるでしょう。

この人達にとって学歴は必要なんでしょうかね?

人命救助の仕方、災害時の対応、クレジットカードの仕組み、詐欺被害にあわないための授業、正しいネットの利用法、年金の仕組み、保険の仕組み、介護について、生活保護など社会保障について、病気について、法律について…

義務教育では教えてくれない「生きていく上で必要なこと」が多数存在するのです。

「義務教育だから学校に行かなければならない」のではなく、これを学ばないと「生きていく上で困るから学校に行かなければならない」へと変えていかなければならないと思っています。

共通テストで「生活保護を受給するのに必要な条件を述べよ」みたいな問題があっても良いと思うんですよね(笑)

学歴至上主義はすでに崩壊しています。大手企業に勤務し続けることの方がリスクが高い時代と言えるでしょう。

人間関係で人は悩みます。転職の多くの理由が人間関係の崩壊によるものです。人付き合いが苦手な人にとって心を病んでまで集団生活する必要があるのでしょうか?

集団生活を学ぶのであれば、地域のスポーツクラブに大人と混ざって活動しても良いでしょう。また、地域のボランティア活動などに参加するのも手でしょう。

つまり学校以外にも集団生活を学ぶ機会はあるってことです。必ずしも、それを学校で学ばなくても良いって思います。

「古文漢文は必要なくない?」

論破王ひろゆきさんが言っていました。しかし、数学は必要だと言っています。

私が考えるのは「それが生きていく上で必要なことなのかどうか?」が重要だと思っています。

その点から言えば、古文漢文も微分積分も同じだと言えます。多くの人が知らなくても生きていけると言えるでしょう。

必要か必要でないかの線引きは難しいんです。なぜなら、古文漢文や数学を「必要とする人生」と「必要としない人生」が存在しているからです。

機会の平等を与えるのであって結果の平等を与えてはいけない。私はそう考えています。つまり、古文漢文も微分積分も機会の平等だけ与えて、あとは本人の自由選択で良いと思っています。

だから私は「古文漢文が必要な人もいれば必ずしも必要でない人もいる」という見解になります。つまり、学びたい人が学べば良いのであって、必要か不必要かの議論ではないってことですね。それが微分積分などの数学にも同じく当てはまるってことです。

大学に行き、教員免許を取り、学校に勤務する。つまり、学校の先生は学校という社会の中しか知らずに生きていることになります。

世の中の仕組みを知らない人が世の中の仕組みを教える。野球をまったく知らない人が野球を教える。

これは先生が悪いのではありません。適材適所に人員を配置していない国が悪いと言うことです。

社会で生きていくために何が必要なのか?それが教育の根本的な考え方だと私は思っています。